二見ヶ浦


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<< ふたみ七夕・星まつり | main | 第59回 伊勢神宮奉納 全国花火大会 >>
旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐり に参加しました。
伊勢志摩巡礼の会による
旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐりに加しました。

江戸期にんであった、「おかげまいり」による
「神宮 百二十五社」めぐり
そして、もう一つの「おかげまいり」と言われた
「西国伊勢観音三十三ヶ所」めぐりがあります。


今回の「旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐり」めぐりは
伊勢神宮の旧神領内に三十三ヶ所ある観音さまの霊所めぐりで
その昔「おかげまいり」で 気づいた伊勢人(いせびと)が忙しい商売の合間に
神域内の三十三ヶ所にでた由緒あるお参り
正式名称を「観世音三十三ヶ所巡禮」と言いまして
続きに「弘法大師二十一ヶ寺礼所」。

伊勢志摩巡礼の会により、三十三ヶ所を三回にわけて巡ります。

第一回目は、3月27日、1番 善光寺に集合して9か所を巡りました。
第二回目は、5月14日、7番 中山寺に集合して10か所を巡りました。

そして、第三回目は、龍池山 松尾観音寺からスタートです!!

17番 龍池山 松尾観音寺

平成24年1月18日に開山 1300年記念大法要を控えております。
日本最古の厄除け観音様


木造住職からお話しを伺えることが
できました。

松尾観音寺は本山も末寺も檀家も持たず、
いずれの既成宗派にも属さない単立という特殊な形態で存在している祈願寺で
本尊十一面観世音菩薩と脇仕の地蔵菩薩、毘沙門天が、衆人の除災、結縁などにたいへんご利益があるとされます。

7月17日、18日は手づくり市と骨董市が開かれます。
結縁祈願の絵馬


23番 祥雲山 自性軒

曹洞宗 玄関は日本赤十字社三重支部山田病院から移築されました。

自性軒は仏教用語「名詮自性」から援用されたと推測します。
名詮自性: 名はそのものの本性をあらわすという意。



暖かい微笑みを浮かべる
真珠観音菩薩


24番 正眼寺

お寺でいただきました
大本山 南禅寺発行の冊子より抜粋
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 疑えば花ひらかず

 信心清浄なるとき

 花開き仏を見る

〈十住毘婆娑論
・じゅうじゅうびばしゃろん〉



抜粋
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三帰依〈さんきえ〉
仏さまの教えを戴く第一歩は、
三宝を信じ、
帰依することであると言われ、
三宝とは

 仏(仏陀=お釈迦様)
 法(仏が説かれた教え)
 僧(仏と法を拠り所とし、
  教えを実践する求道求法の人々)


25番 桂林山 昌久寺
 


この門は常磐町にあった
御師 橋村肥前大夫邸の門です。
橋村家は山田町年寄りを務め、
外宮の権禰宜の神人でした。
現在は昌久寺の山門として保存されています。


御師とは、主に江戸時代 伊勢神宮の御札を持って全国を回り伊勢信仰を広めた人々です。 御師は元神宮の権禰宜で神人(じにん)と呼ばれる人々でしたが後には神役人、さらには商人などが御師株を手にいれて御師になり、江戸時代御師は宇治で271家・山田には615家がありました。御師たちは全国を回って結ばれた檀家たちに、お祓い大麻(神札)を届け、檀家は応分の初穂料を献じました。伊勢参りには自邸に宿泊させお神楽をあげ、もてなしました。抜け参りやお蔭参りなどと称して全国から多くの人々が伊勢を目指し参拝しました。しかし明治4年7月、明治政府により御師の活動は禁止されました。現在、広大な御師邸はほとんど残っていず、多くの資料も失われています。 


山門の彫刻


桂林山 昌久寺
禅宗のお寺です。
参加者全員でお経を務めた後、住職よりお話を伺事が出来ました。

お寺の前の一色神社の大楠

神社港・かみやしろ に到着

木造船『みずき』と神社港、奥の山が朝熊山・あさまやま


12番 青雲院


家康の菩提(ぼだい)寺「清雲院」

清雲院は江戸時代前期の
1630(寛永7)年
家康の側室「清雲院お夏の方」の願いで
家康の菩提寺として
現在の吹上1丁目(旧吹上町松原)あたりに建てられたとされる。

1670(寛文10)年の大火で焼失し、妙見町に移転。
明治維新を経て神社港の現在地に再建されました。







本能寺の変、家康 「伊賀越え」 の折り
山賊に追われた家康をお夏の方の母親が匿ったのが発端

のちに服部半蔵を介して再開

第二次、朝鮮出兵のとき家康が名護屋(佐賀県)に陣を張っていたとき
服部半蔵に従いお供をしていたお夏が、家康の危機を救った。

其の後、側室となり、江戸幕府を陰で支えました。


26番 海照山 西迎寺(善昌院)

海照山




浄土宗知恩院末の善昌院
弘治3年、真言宗 西迎寺として開基したと伝わります。
明治初年廃寺
のち時の区長 中村伝ノ助翁の尽力により
再興されて海照山善昌院と称する。


また地内 天ケ崎には万福寺があったが、廃寺となる。
同寺の薬師堂での施餓鬼には近郷からの参詣者でにぎわった。

27番 明星寺


臨済宗 南禅寺派 金剛證寺 末院。
寺内には、県の重要文化財に指定された
本尊の阿弥陀如来像が安置され
入口にある子安地蔵には安産を祈願する人が訪れます。




お経を修め、ご朱印を頂きます。

元本尊は重要文化財で撮影はNG
久安元年(1145)2月
明星寺 木造薬師如来坐像
祈願者 荒木田神主・度会氏

当時の有力者でありました。
荒木田・度会 ・祭主 大中臣の各氏の人々が平安末期に、末世澆季に当って遠く仏、再来に備え経巻を書写埋納しました。




当時、神仏同体観の導入は大神宮にどのような変化をもたらしたか。『釈日本紀』中の記事によりますと、平安末期ごろから、神宮の存在を以て、日本が「大日の本国」であることの明証としようとする動きがありました。
大日如来が日本の国土にあとをとどめたとすると、それは地理上の一点とは どうも考えにくく、日本国を象徴するような何かでこれをあらわすことになる。ここに伊勢神宮の象徴的な説明が必要となり、当時の通念にしたがってそれは密教で説明することがもっとも適当であった。

28番 慶春院

新しく新築された臨済宗 妙心寺派 慶春院


意匠が見事です。


昼食
今回は松風軒さん。

新鮮な刺身に舌鼓

ほかに冷やしそば、デザートのスイカを頂きました。
手づくりマルシェでお馴染み、和ショップさんのコーナーがあります。


32番 禅棟寺

萬松山 禅棟寺
  1597年の慶長4年 内宮 元慶光院周養上人の開基です。

慶光院の尼僧の養成所であったほか、数々の行事が継承されています。
明治2年廃寺になり明治18年に寺号復旧されました。

29番 正覚寺

法王山 正覚寺 開基は1583年の天正11年 明治初年廃寺となるが同19年、再び再興されました。



今回3回にわけて行われた
神領内 三十三観音めぐり
のこすは2所!!

31番 高泉庵

日生山 高泉庵 曹洞宗等観寺末 開基は1556年・弘冶3年

和裁道具がありました。

33番 太江寺
弘法大師大僧正直筆と伝わる仁王門の山表

潮音山 太江寺 真言宗醍醐派 開基は743年・天平15年

享保16年(1731年)以来の大改修により、美しくなった仁王門


千手観音様に33ヶ所巡礼の報告です。

本地垂迹説の新しい理論は、仏(本地)は衆生を救うために仮(権)の姿(迹)で垂れる(あらわれる)といゆうもので、伊勢大神は大日如来の垂迹であると説く、かの西行法師がこう思って、草庵で神宮を拝んでいました。


今回、天領内の三十三観音巡りを無事終えて、率直な感想は  目の前が明るくなった感じです。
関係者の皆様 ありがとうございました。
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