二見ヶ浦


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旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐり に参加しました。
伊勢志摩巡礼の会による
旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐりに加しました。

江戸期にんであった、「おかげまいり」による
「神宮 百二十五社」めぐり
そして、もう一つの「おかげまいり」と言われた
「西国伊勢観音三十三ヶ所」めぐりがあります。


今回の「旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐり」めぐりは
伊勢神宮の旧神領内に三十三ヶ所ある観音さまの霊所めぐりで
その昔「おかげまいり」で 気づいた伊勢人(いせびと)が忙しい商売の合間に
神域内の三十三ヶ所にでた由緒あるお参り
正式名称を「観世音三十三ヶ所巡禮」と言いまして
続きに「弘法大師二十一ヶ寺礼所」。

伊勢志摩巡礼の会により、三十三ヶ所を三回にわけて巡ります。

第一回目は、3月27日、1番 善光寺に集合して9か所を巡りました。
第二回目は、5月14日、7番 中山寺に集合して10か所を巡りました。

そして、第三回目は、龍池山 松尾観音寺からスタートです!!

17番 龍池山 松尾観音寺

平成24年1月18日に開山 1300年記念大法要を控えております。
日本最古の厄除け観音様


木造住職からお話しを伺えることが
できました。

松尾観音寺は本山も末寺も檀家も持たず、
いずれの既成宗派にも属さない単立という特殊な形態で存在している祈願寺で
本尊十一面観世音菩薩と脇仕の地蔵菩薩、毘沙門天が、衆人の除災、結縁などにたいへんご利益があるとされます。

7月17日、18日は手づくり市と骨董市が開かれます。
結縁祈願の絵馬


23番 祥雲山 自性軒

曹洞宗 玄関は日本赤十字社三重支部山田病院から移築されました。

自性軒は仏教用語「名詮自性」から援用されたと推測します。
名詮自性: 名はそのものの本性をあらわすという意。



暖かい微笑みを浮かべる
真珠観音菩薩


24番 正眼寺

お寺でいただきました
大本山 南禅寺発行の冊子より抜粋
---------------
 疑えば花ひらかず

 信心清浄なるとき

 花開き仏を見る

〈十住毘婆娑論
・じゅうじゅうびばしゃろん〉



抜粋
---------------
三帰依〈さんきえ〉
仏さまの教えを戴く第一歩は、
三宝を信じ、
帰依することであると言われ、
三宝とは

 仏(仏陀=お釈迦様)
 法(仏が説かれた教え)
 僧(仏と法を拠り所とし、
  教えを実践する求道求法の人々)


25番 桂林山 昌久寺
 


この門は常磐町にあった
御師 橋村肥前大夫邸の門です。
橋村家は山田町年寄りを務め、
外宮の権禰宜の神人でした。
現在は昌久寺の山門として保存されています。


御師とは、主に江戸時代 伊勢神宮の御札を持って全国を回り伊勢信仰を広めた人々です。 御師は元神宮の権禰宜で神人(じにん)と呼ばれる人々でしたが後には神役人、さらには商人などが御師株を手にいれて御師になり、江戸時代御師は宇治で271家・山田には615家がありました。御師たちは全国を回って結ばれた檀家たちに、お祓い大麻(神札)を届け、檀家は応分の初穂料を献じました。伊勢参りには自邸に宿泊させお神楽をあげ、もてなしました。抜け参りやお蔭参りなどと称して全国から多くの人々が伊勢を目指し参拝しました。しかし明治4年7月、明治政府により御師の活動は禁止されました。現在、広大な御師邸はほとんど残っていず、多くの資料も失われています。 


山門の彫刻


桂林山 昌久寺
禅宗のお寺です。
参加者全員でお経を務めた後、住職よりお話を伺事が出来ました。

お寺の前の一色神社の大楠

神社港・かみやしろ に到着

木造船『みずき』と神社港、奥の山が朝熊山・あさまやま


12番 青雲院


家康の菩提(ぼだい)寺「清雲院」

清雲院は江戸時代前期の
1630(寛永7)年
家康の側室「清雲院お夏の方」の願いで
家康の菩提寺として
現在の吹上1丁目(旧吹上町松原)あたりに建てられたとされる。

1670(寛文10)年の大火で焼失し、妙見町に移転。
明治維新を経て神社港の現在地に再建されました。







本能寺の変、家康 「伊賀越え」 の折り
山賊に追われた家康をお夏の方の母親が匿ったのが発端

のちに服部半蔵を介して再開

第二次、朝鮮出兵のとき家康が名護屋(佐賀県)に陣を張っていたとき
服部半蔵に従いお供をしていたお夏が、家康の危機を救った。

其の後、側室となり、江戸幕府を陰で支えました。


26番 海照山 西迎寺(善昌院)

海照山




浄土宗知恩院末の善昌院
弘治3年、真言宗 西迎寺として開基したと伝わります。
明治初年廃寺
のち時の区長 中村伝ノ助翁の尽力により
再興されて海照山善昌院と称する。


また地内 天ケ崎には万福寺があったが、廃寺となる。
同寺の薬師堂での施餓鬼には近郷からの参詣者でにぎわった。

27番 明星寺


臨済宗 南禅寺派 金剛證寺 末院。
寺内には、県の重要文化財に指定された
本尊の阿弥陀如来像が安置され
入口にある子安地蔵には安産を祈願する人が訪れます。




お経を修め、ご朱印を頂きます。

元本尊は重要文化財で撮影はNG
久安元年(1145)2月
明星寺 木造薬師如来坐像
祈願者 荒木田神主・度会氏

当時の有力者でありました。
荒木田・度会 ・祭主 大中臣の各氏の人々が平安末期に、末世澆季に当って遠く仏、再来に備え経巻を書写埋納しました。




当時、神仏同体観の導入は大神宮にどのような変化をもたらしたか。『釈日本紀』中の記事によりますと、平安末期ごろから、神宮の存在を以て、日本が「大日の本国」であることの明証としようとする動きがありました。
大日如来が日本の国土にあとをとどめたとすると、それは地理上の一点とは どうも考えにくく、日本国を象徴するような何かでこれをあらわすことになる。ここに伊勢神宮の象徴的な説明が必要となり、当時の通念にしたがってそれは密教で説明することがもっとも適当であった。

28番 慶春院

新しく新築された臨済宗 妙心寺派 慶春院


意匠が見事です。


昼食
今回は松風軒さん。

新鮮な刺身に舌鼓

ほかに冷やしそば、デザートのスイカを頂きました。
手づくりマルシェでお馴染み、和ショップさんのコーナーがあります。


32番 禅棟寺

萬松山 禅棟寺
  1597年の慶長4年 内宮 元慶光院周養上人の開基です。

慶光院の尼僧の養成所であったほか、数々の行事が継承されています。
明治2年廃寺になり明治18年に寺号復旧されました。

29番 正覚寺

法王山 正覚寺 開基は1583年の天正11年 明治初年廃寺となるが同19年、再び再興されました。



今回3回にわけて行われた
神領内 三十三観音めぐり
のこすは2所!!

31番 高泉庵

日生山 高泉庵 曹洞宗等観寺末 開基は1556年・弘冶3年

和裁道具がありました。

33番 太江寺
弘法大師大僧正直筆と伝わる仁王門の山表

潮音山 太江寺 真言宗醍醐派 開基は743年・天平15年

享保16年(1731年)以来の大改修により、美しくなった仁王門


千手観音様に33ヶ所巡礼の報告です。

本地垂迹説の新しい理論は、仏(本地)は衆生を救うために仮(権)の姿(迹)で垂れる(あらわれる)といゆうもので、伊勢大神は大日如来の垂迹であると説く、かの西行法師がこう思って、草庵で神宮を拝んでいました。


今回、天領内の三十三観音巡りを無事終えて、率直な感想は  目の前が明るくなった感じです。
関係者の皆様 ありがとうございました。
伊勢志摩巡礼の会より
天領内 三十三ヶ所 観音めぐり参拝募集

ふたみ手づくりマルシェが普段お世話になっている、太江寺さんの中に事務局をおく、「伊勢志摩巡礼の会」さんからのお知らせです。

前回、3月と5月に行われました。33ヶ所めぐりの続編、今回で完結12ヶ所をめぐります。



日時 平成23年6月23日(土)午前8時30分集合

場所 三重県伊勢市楠部町 第十七番 「松尾観音寺」

行程
  • ・17番 松尾観音寺 ⇒ 23番 自性軒
  • ・23番 自性軒 ⇒ 24番 正眼寺
  • ・24番 正眼寺 ⇒ 25番 昌久寺
  • ・25番 昌久寺 ⇒ 12番 青雲院
  • ・12番 青雲院 ⇒ 26番 西迎寺(善昌院)
  • ・26番 西迎寺(善昌院) ⇒ 昼食 ⇒ 27番 明星寺
  • ・27番 明星寺 ⇒ 28番 慶春院
  • ・28番 慶春院 ⇒ 32番 禅棟寺
  • ・32番 禅棟寺 ⇒ 29番 正覚寺
  • ・29番 正覚寺 ⇒ 31番 高泉庵
  • ・31番 高泉庵 ⇒ 33番 太江寺


 
参加費 7千円(印代・昼食代・印帳代・保険費含む)・無料駐車場あり

その他 今回は車2台で移動します。

各、住職の時間の都合がつけば、お話を伺えます。

主催 伊勢市二見町江1659

太江寺内 伊勢志摩巡礼の会

tel 0596-42-1952 fax 0596-43-2284

※お申し込みは、お名前、電話番号、ご住所
を上記連絡先まで、ファックスまたはお電話にてお申し込みください。


龍池山 松尾観音寺

より大きな地図で 天領内 三十三ヶ所 観音めぐり 集合場所 第十七番 松尾観音寺 を表示



旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐりに参加しました。
伊勢志摩巡礼の会による
旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐりに加しました。

江戸期にんであった、「おかげまいり」による
「神宮 百二十五社」めぐり
そして、もう一つの「おかげまいり」と言われた
「西国伊勢観音三十三ヶ所」めぐりがあります。


今回の「神域内観音三十三ヶ所霊場」めぐりは
伊勢神宮の旧神領内に三十三ヶ所ある観音さまの霊所めぐりで
その昔「おかげまいり」で気づいた伊勢人(いせびと)が忙しい商売の合間に
神域内の三十三ヶ所にでた由緒あるお参り
正式名称を「観世音三十三ヶ所巡禮」と言いまして
続きに「弘法大師二十一ヶ寺礼所」。

伊勢志摩巡礼の会により、三十三ヶ所を三回にわけて巡ります。

第一回目は、3月27日、1番 善光寺に集合して9か所を巡りました。

そして、第二回目は、5月14日、7番 中山寺からスタートです!!


境内には、子児のかん虫封じに300年の伝統をほこる、乾達婆堂があり
釈迦八部衆の一である乾達婆神王(かんだつばじんおう)を祀ります。

勢田川沿いを歩いて

カメさんが日向ぼっこ

つぎの 8番 世義寺に
中世、大峰山修験道の先達寺院として栄えましたが
現在は護摩堂が当時のおもかげを残します。

毎年、7月7日に行われる柴燈大護摩は日本三大護摩のひとつ
世義寺(せぎでら)の護摩として10万人の信者でにぎわい
露店も並び、伊勢の夏の風物詩のひとつになっています。


春の陽気にアゲハ蝶♪

20番 光明寺
天平年間(8世紀)に聖武天皇の勅願によって創建されました。

13世紀の南北朝対立のおり、後醍醐天皇の皇子 義良親王を奉じて
北畠親房父子や結城宗広などが、出帆の準備をしたとされます。

光明寺の一つ鐘

19番 正寿院

赤門寺正寿院さんでは、コンサートやライブなど集いの場として。
また通称「赤門さん」として親しまれています。

13番 大林寺 

歌舞伎の演目として知られている
「伊勢音頭 恋寝刃 (いせおんど こいのねたば」
当時の古市三大妓楼のひとつであった
油屋での騒動の主人公 お紺と孫福斉の比翼塚があります。

ご本尊は阿弥陀如来さま

10番 寿厳院

境内にある「眠地蔵」は不眠症や子供の夜泣きに
「身代わり地蔵」は病人の身代わりになってくれると伝えられています。
本堂は建築中で出来上がりが楽しみです。

1番 善光寺

前回、住職が不在で、今回はご都合がつきお話を伺えることができました。

楽しみの昼食♪
今回は善光寺さんで大喜さんの仕出し弁当です。

2011年ファイブパール認定店
の割烹 大喜さん♪
そして、お昼休憩中に
外宮前で行われていた、楽市楽座へ

手づくりのジョーロ

おいしそうなお米も!

そして、14番 寂照寺

二代将軍・徳川秀忠の娘・千姫ゆかりの寺。
伊勢神宮を厚く崇敬していた千姫の没後、知恩院第37世寂照知鑑上人が
伊勢神宮ゆかりの地、古市に菩提寺として建立しました。

八角回転式の輪蔵を拝見することができました!
享和元年(1801)月僊上人の創設以来のものです。

老舗旅館「麻吉」の世古を通り抜け

15番 本誓寺

先の記述の「油屋騒動」の切傷血塗り廊下を本堂の天井板として供養してきました。

伊勢古事:油屋騒動
寛政八年(1796年)におこった遊郭での切傷事件

お紺に恋い焦がれていた
宇治浦田町の医者 孫福斎(当時27歳)が夜の四ッ半ごろ(午後11時ごろ)
油屋にあがった。同家では お茶くみのお紺(当時16歳)を出し
下座敷でおこん相手に酒を飲んでいたが
阿波の藍玉商人3人がお客として賑やかに登楼し酒宴となり
中居のおまんが、孫福斎 相手のおこんを間抜きしていったことに
腹を立てて突然帰るといい出し、帰り際に玄関で渡された脇差で切傷ざたとなる。


本誓寺の観音さま

16番 心證寺

朝熊山の山頂にある金剛證寺の末寺で
廃仏毀釈により、茅葺雨ざらしのお堂を地元の方々の厚い保護で
現在は立派なお堂が建ちました。

残念ながら、観音さまは失われてしまったままです。
伊勢志摩巡礼の会より
天領内 三十三ヶ所 観音めぐり参拝募集

ふたみ手づくりマルシェが普段お世話になっている、太江寺さんの中に事務局をおく、「伊勢志摩巡礼の会」さんからのお知らせです。

前回、3月に行われました。33ヶ所めぐりの続編、今回は10ヶ所めぐります。



日時 平成23年5月14日(土)午前8時30分集合

場所 三重県伊勢市勢田町441 第七番 「中山寺」

行程
  • ・7番 中山寺 ⇒ 8番 世義寺
  • ・8番 世義寺 ⇒ 20番 光明寺
  • ・20番 光明寺 ⇒ 19番 正寿院
  • ・19番 正寿院 ⇒ 10番 寿厳院
  • ・10番 寿厳院 ⇒ 11番 高源寺
  • ・11番 高源寺 ⇒ 昼食 ⇒ 14番 寂照寺
  • ・14番 寂照寺 ⇒ 15番 本誓寺
  • ・15番 本誓寺 ⇒ 16番 心證寺


 
参加費 5千円(印代・昼食代・印帳代・保険費含む)・無料駐車場あり

その他 体力に自信のない方はご相談ください。

各、住職の時間の都合がつけば、お話を伺えます。

主催 伊勢市二見町江1659

太江寺内 伊勢志摩巡礼の会

tel 0596-42-1952 fax 0596-43-2284

※お申し込みは、お名前、電話番号、ご住所
を上記連絡先まで、ファックスまたはお電話にてお申し込みください。



より大きな地図で 天領内 三十三ヶ所 観音めぐり 集合場所 第七番 中山寺 を表示



旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐり 2011年第一回目
伊勢志摩巡礼の会による
天領内 三十三ヶ所 観音めぐりに参加しました。

江戸期に盛んになった、「おかげまいり」による神宮 百二十五社めぐり、そしてもう一つの「おかげまいり」と言われた、西国伊勢観音三十三ヶ所めぐりがあります。

旧神領内 三十三ヶ所 観音めぐりは、伊勢神宮神領内に三十三ヶ所ある観音さまの霊所めぐりで
その昔「おかげまいり」で活気づいた伊勢人(いせびと)が忙しい商売の合間に、神領内の三十三ヶ所に詣でた由緒あるお参り、正式名称を「観世音三十三ヶ所巡禮」と言いまして、続きに「弘法大師二十一ヶ寺礼所」。

2011年第一回目は、3月27日、一番 善光寺に集合して9か所を巡りました。

一光三尊阿弥陀如来様(善光寺仏)をお祀りする善光寺


次は、近くにある二十一番 不動院

その名の通り、不動明王様をお祀りします。


二十二番 大江寺、現在は瑞泉院、そのむかし松尾芭蕉が、おかげまいりの止宿としたお寺

芭蕉がこの場所で読んだ歌の石碑 若葉塚
「藪つばき 門はむぐらの 若葉哉」
二番 養草寺


医王山 養草寺

十八番 欣浄寺


日の丸 欣浄寺


昼食は魚勘さんでいただきました。

続いて、四番 法住院

めぐる先の各寺院では、お経を捧げます。


五番 玄忠寺


三番 梅香寺



六番 等観寺





震災に合われた方々のご冥福と世界平和、核のない世の中になるよう、お祈りしました、私です。

次回の予定は、五月十四日の土曜日です。

参加申し込み、お問い合わせは

伊勢志摩巡礼の会
tel 0596-42-1952 fax 0596-43-2284



伊勢志摩巡礼の会より
天領内 三十三ヶ所 観音めぐり参拝募集

ふたみ手づくりマルシェが普段お世話になっている、太江寺さんの中に事務局をおく、「伊勢志摩巡礼の会」さんからのお知らせです。



日時 平成23年3月27日(日)午前9時集合

場所 第一番 伊勢吹上「善光寺」

行程
  • ・1番 善光寺 ⇒(5分 383m) 21番 不動院
  • ・21番 不動院 ⇒(15分 1158m) 22番 瑞泉院
  • ・22番 瑞泉院 ⇒(14分 1099m) 2番 養草寺
  • ・2番 養草寺 ⇒(7分 487m) 18番 欣浄寺
  • ・18番 欣浄寺 ⇒ 昼食 ⇒(18分 1424m) 4番 法住院
  • ・4番 法住院 ⇒(6分 428m) 5番 玄忠寺
  • ・5番 玄忠寺 ⇒(8分 595m) 3番 梅香寺
  • ・3番 梅香寺 ⇒(4分 276m) 6番 等観寺
  • ・6番 等観寺 ⇒(24分 1858m) 1番 善光寺

  ※ 徒歩1時間41分・各所30分・昼食60分 距離 7km708m

参加費 5千円(印代・昼食代・印帳代・保険費含む)

その他 体力に自信のない方はご相談ください。

各、住職の時間の都合がつけば、お話を伺えます。

主催 伊勢市二見町江1659

太江寺内 伊勢志摩巡礼の会

tel 0596-42-1952 fax 0596-43-2284

※お申し込みは、お名前、電話番号、ご住所
を上記連絡先まで、ファックスまたはお電話にてお申し込みください。



より大きな地図で 天領内 三十三ヶ所 観音めぐり 集合場所 第一番 善光寺 を表示

震災に合われた方々のご冥福と世界平和、核のない世の中になるよう、祈りながら巡礼しようと思う、私でした。。